中山道・長久保宿・和田宿関連略年表
年代 | 西暦 | 長久保宿に関する主な出来事 | 和田宿に関する主な出来事 | 歴史的な主な出来事 |
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天正10年 | 1582 | 武田氏滅亡 | ||
天正11年 | 1583 | 真田昌幸、小県郡統一 | ||
天正13年 | 1585 | 徳川勢、芦田から長窪へ侵攻し戦いとなる | 第一次上田合戦 | |
慶長5年 | 1600 | 徳川秀忠付の武将、榊原康政、和田峠を通って 下諏訪へ向かう | 第二次上田合戦 | |
慶長6年 | 1601 | 前田慶次、和田峠を越え長窪から芦田へ向かい、一帯が戦火で荒れた様子を記す | ||
慶長7年 | 1602 | 長久保宿成立 | ||
慶長8年 | 1603 | 和田宿成立(宿の長さ7町 58 間、戸数百数十) | 徳川家康、征夷大将軍となり江戸幕府を開く | |
慶長13年 | 1608 | 長窪村の村高885貫370文 | ||
寛永7年 | 1630 | 旅籠28軒 | ||
寛永8年 | 1631 | 依田川の大洪水を受け以後、現在の地へ 宿場が移る | ||
万治3年 | 1660 | 東餅屋(5軒)開設 | ||
寛文11年 | 1671 | 火災で37軒焼失 | ||
延宝3年 | 1675 | 宿の長さ6町28間、戸数 97、馬数45 | ||
元禄7年 | 1694 | 助郷制度定まる | ||
元禄14年 | 1701 | 長窪古町・長久保新町・大門村・和田村、幕府直轄領となる | ||
正徳3年 | 1713 | 従来の上町・中町・下町に橋場・新田を宿に加える | ||
正徳6年 | 1716 | 中仙道改め、中山道とする | ||
享保9年 | 1724 | 宿の長さ7町3間、戸数180、 人口1015、馬数 71 | ||
明和2年〜7年 | 1765-1770 | 中町・下町で合計50軒が火災の被害を受ける | ||
寛政3年 | 1791 | 旅籠39軒 | ||
文化元年〜11年 | 1804-1828 | 戸数189、人口820、馬数 34(文政五年) | 宿内187戸、旅籠・茶屋 72軒(この間、281人の諸大名等が休泊) | |
文政11年 | 1828 | 永代人馬施行所(接待)開設 | ||
天保13年 | 1842 | 下町で火災(27軒焼失) | 和田村戸数495、人口1748、宿内戸数126、 旅籠28、人口522 | |
天保14年 | 1843 | 旅籠43軒 | ||
嘉永5年 | 1852 | 永代人馬施行所が山崩れにより流失し、現在地に 再建される(明治三年まで施行が続けられる) | ||
文久元年 | 1861 | 和宮本陣休憩(11月) | 本陣ほか宿大半の129戸が焼失(三月)し、 幕府より二千両以上拝借して、復興にかかる。 | 皇女和宮、十四代将軍徳川家茂に嫁ぐため、 中山道を下向 |
文久2年 | 1862 | 戸数192、人口709、馬数38 | ||
文久3年 | 1863 | 幕府浪士組(新撰組の前身)一行宿泊(2月) | ||
元治元年 | 1864 | 水戸浪士一行宿泊(11月) | 水戸浪士一行、内山峠を越え中山道を通り、 和田峠下(樋橋)で諏訪・松本藩兵と戦う |
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明治元年 | 1868 | 明治維新。助郷制が廃止され、伝馬取締役が置かれる | ||
明治2年 | 1869 | 上田騒動起こる | ||
明治3年 | 1870 | 横町より出火(32軒焼失、3軒半焼) 長窪古町・長久保新町・大門村・和田村、中野県の管轄となる | 永代人馬施行所が廃止され、地元住民が小荷物運搬業と茶屋を兼ねて使用 | 宿駅及び問屋役人が廃止され、伝馬所が置かれる |
明治4年 | 1871 | 長窪古町・長久保新町・大門村・和田村、長野県の管轄となる | ||
明治5年 | 1872 | 戸数497、人口1839、水車27、馬数116。 陸運会社設立 | 伝馬所が廃止される | |
明治8年 | 1875 | 旅籠18 戸、上町火災(13軒焼失) | ||
明治10年 | 1877 | 和田峠新道工事着手 | ||
明治12年 | 1879 | 長久保大石国道開通 | 本陣に戸長役場置かれる | 郡制施行、戸長役場が置かれる |
明治15年 | 1882 | 長久保遊郭開業 | ||
明治18年 | 1885 | 橋場・新田火災(30軒焼失) | ||
明治20年 | 1887 | 上町火災(16軒焼失) | ||
明治21年 | 1888 | 上田・軽井沢間鉄道開通 | ||
明治22年 | 1889 | 戸長役場が廃止され、和田村役場が置かれる (この頃本陣御殿売却される) | 間鉄道開通 | |
明治26年 | 1893 | 信越線全線開通 | ||
明治33年 | 1900 | 乗合馬車営業開始 | 和田村農会(農協前身)が役場内におかれる | |
明治34年 | 1901 | 長久保竪町新国道開通(笠取線) | ||
明治35年 | 1902 | 篠ノ井線開通 | ||
明治41年 | 1908 | 中央線全線開通 | ||
大正7年 | 1918 | 丸子鉄道開通 | ||
昭和13年 | 1938 | 長久保遊郭閉業 | ||
昭和53年 | 1978 | 本陣石合家、釜鳴屋竹内家が町指定文化財に指定 | 歴史の道中山道保存整備事業着手 | |
昭和58年 | 1983 | 役場新庁舎完成。歴史の道中山道保存整備事業完了 | ||
昭和61年 | 1986 | 調査により、本陣御殿は十七世紀後半、釜鳴屋の母屋は十七世紀末頃の建築と推定される | 伝統的建造物群保存地区保存対策調査実施 本陣保存修理事業着手 | |
昭和62年 | 1987 | 中山道(男女倉口から古峠間)国史跡に指定 | ||
平成2年 | 1990 | 町並み調査実施(名城大学) | ||
平成3年 | 1991 | 町並み調査実施(名城大学) | 中山道(村内、唐沢、本陣ほか)国史跡に追加指定 本陣保存修理事業完了 | |
平成10年 | 1998 | 第12回中山道宿場会議長門大会開催 | ||
平成14年 | 2002 | 長久保宿歴史資料館一福処濱屋開館 | 羽田野・大黒屋改築整備事業 着手 | |
平成15年 | 2003 | 羽田野・大黒屋改築整備事業 完了 | ||
平成17年 | 2005 | 長門町、和田村が合併し長和町となる(10月1日) | ||
平成20年 | 2008 | 第22回中山道宿場会議信州長和大会開催(10月4日・5日) |